時間という共有。ドリフは偉大だった件

仕事とプライベートとTwitter(笑)にかまけていて、気が付いたら5ヶ月程も更新を滞っていた。
TwitterにPostする頻度とBlogの更新頻度が負の相関をするんじゃないか?と色々な人が指摘しているが、多分その傾向はきっと有るなこりゃ間違い無く(言い訳)
Blogは書き手からの一方的な発信だけど、Twitterは投稿とリプライが同列にリアルタイムにタイムラインに並ぶ、フラットなメディアだ。コンテンツ的にはツリー型のサーバ クライアントモデルが前者で、P2P型が後者になる。そして、そのリアルタイム性によって予想もしない議論が発展したりするのもTwitterの醍醐味だ。
音楽のライブの現場に「ハウリング」という現象が有る。スピーカーから出た音をマイクが拾い、それがスピーカーから出た音をまたマイクが拾い…と音がフィードバックする事によって、特定の周波数が発振して「キィーン」とか「ボー」みたいな音になるのがそれだ。聞いた事有るでしょ。
で、これはTwitterのようなリアルタイムメディアで起きる予測出来無い発言やRTの伸びにとても似ている。そして或れは「ライブ」「生」であるからこそ発生する。
片や録音されたCDのようなメディアも、収録されている音はマイクで集音してる処までは同じなのだが、リスナーのスピーカーから音が出る時には集音はとっくに終わった後なので当然ハウリングは起きない。
これはBlog(や書籍等の非リアルタイムメディア)っぽい。完成度は高いが、単発で、発展は少ない。
ハウリングはPAエンジニア泣かせの困った現象で、どのマイクがどの角度や位置でどのスピーカーに向いていてその時どんな音を集音したか?によって様々な周波数の音が発生するので全く予測出来無い。
Twitterでの議論も時に全く予測出来無い方向に発展したりする。そして其処で起きる議論は殆どの場合面白い。
何故か?
理由は、議論に興味を持つ人々が集まっているとか、2chとかと違って匿名ではなく皆「ID」を背負ってるから無責任な議論にならないとか様々有るが、先程挙げた
「会話は予測可能では無い方が面白い」
という極々当たり前の前提がまず一番大きいだろう。
「ライブでのハウリング」は秩序の破壊だが、「思考、会話のフィードバック現象」はエンターテインメントになる。対談や座談会が面白いのもまさに其故だ。
だからTwitterは140字の制限がじれったくはある(それがプラスに働いてる部分は大いに有る)が、これだけの規模で急激にキャズム越えをしてるという面が有るんだろうと思う。
そして、このリアルタイムフィードバック効果が、潜在的にコンテンツやメディア産業に及ぼす影響はやはり大きい。というか、今後はますます大きくなっていくだろう。
今のようなTwitterやUSTREAMの隆盛が有り、ネットゲームが当り前になり、モバイル端末の普及によって常時そういうメディアを送受信(受信だけでは無い処が重要!!)出来るようになると、その傾向に益々拍車が掛かり益々その認知や効果も増幅される。

例えば、僕は普段サッカーやスポーツ全般は全く見ないんだけど、流石に今回のワールドカップの日本戦はリアルタイムで見た。
当然Twitterでつぶやいたりもして、翌日は皆とその話をする訳だ。其処には所謂「共有体験」が有る。
まぁ当然と言うか、ある意味びっくりと言うか、日本戦は一時的に世界中での一秒当たりのTweet数で新記録を更新したらしい(数日後、やはりワールドカップの別な試合でまた更新された)。それに際してtwitter社は急遽、負荷に耐えられるように一時間当たりのAPIアクセス数上限を普段の半分に減らした。でないとサーバが落ちる、と判断した訳だ。
ワールドカップの試合中に落ちたらそれこそ非難囂囂だろうしね。
別な例では、ジブリの映画を最近何週かにわたってテレビでやってるけど、TwitterのTLはその放送時間はかなりそれ関係のTweetで埋まる。ちょっと前の放送ではラピュタの例のシーンでのTwitterや2chやでの「バルス!!」超同時書き込みでサーバが落ちたりする(すごいよなーアニメとネット民パワーは(笑))
僕とかは、今やジブリの映画なんてレンタルビデオで何時でもなんぼでも見れる筈だから、
「テレビで放送する時に敢えて見んでもいいよ、CMとかウザいし」
とか思っちゃうんだけど、視聴率はかなり伸びたりするのを見るとどうもそれだけでは無い。
家の娘は録画してある名探偵コナンの映画とかを、放送が有るとわざわざ又見てたりするんだけど、本人曰く「ビデオで見るのとは何か違うからやっぱりテレビでも見たい!!」んだそうだ。
きっと、人々は其処で、ゴールや勝利や敗北やバルスを「共有」したい。
同じ「時間」に、「同時」に体験して、そしてその思いを語りたい。番組自体は録画で見れるけど、「その時だけの共有体験」は録画する事は不可能だから。
だから、USTREAMの放送も、アーカイブで残す事が前もって分ってる番組でも、同時にTwitterのソーシャルストリームでTweetしながら見たいから極力リアルタイムで見たくなる。
CDの売上は大きく減少してるけれども、Liveは世界的に動員が伸びているのも同じ「その時だけの共有体験」を体感したいからなのだろう。
ミニシアターの隆盛や夏フェスにどうしてあんな大変な思いをしても皆が行きたがるかもきっと同じ。
テレビ産業も今ネガティブな面ばかりが強調されているが、あらためてこういう面を再認識すれば、テレビというメディアが本来持ってるポテンシャルは相当大きい筈なんだよね。まだまだ捨てたもんじゃない。要はやり方を間違ってるだけで。
「昨日ドリフ見た?」「見た見た!!」(古いな(笑))パワーはやっぱり大きかった。おまけに生放送だったしね。
ドラマ「ムー」のゴールデンタイム生放送(!!)とかもあったし。ドラマでだよ、今じゃ考えられないでしょ。
勿論停電とか場面転換が間に合わなくて郷ひろみが走ってくる(笑)とかのトラブルも結構有ったけどね。
そういうののトラブルも含めて楽しさを共有出来ていたあの時代は、今考えれば素朴だけれど輝いていたのかもしれない。
この辺りに、コンテンツ産業の未来の鍵が潜んでいるに違い無いのだ、と思うのです。


江戸時代には、飢饉や高い年貢、理不尽な政策などは当然有ったとして、空気はきれいで、一見今よりも貧しい食料事情も、野菜などの栄養含有率は、自然肥料や農薬が無い事によってかなり高かった(つまり同じ量の野菜を食べても数倍の栄養が取れる)らしい。

鳩山首相が窮地だ。母親からの献金問題は、彼の過去の発現を照らせば、辞職も止む無し、ととられても致し方無い。
此処に一人のアマチュア作曲家が居る。僕から見ると、才能は有る。結構有る。良い曲を沢山聴かせてくれたし、年々そのグレードも上がってきているのが手に取るように解る。
但し、僕が此処で述べたいのは人道論では無い。そういう人達が「可哀想だ」という事を語る事も出来るが、今はそれが目的では無い。もっともっと利己的な事だ。

まさに「いきなり」発表された


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